毎日は出来なくても、中断しても少しでいいので再開して続ける
3/1に、短歌を実際はまとめて詠んでいるけどなんとか一日一首ペースを続けている旨のブログを書きました。
一日一首のペースで短歌を詠み始めて9カ月経ちました 気づいたこといろいろ
これを機に毎日コツコツ続けようと思ってあえて書いたのですが、書き終わったらすっきりしたのかすべて忘れてしまい、その後3週連続まとめ詠みしました。
言ってるそばからこの調子でお恥ずかしいです。
短歌の習慣化は無理っぽいので、1週間たって思い出さなかった時点でもうむいてないと思ってフェードアウトしようかと思ってましたが不思議と週末ごとにハッと思い出して、奇跡的につながりました。
これはこれでよしとします。今週はさっき思い出してブログの前に4日分詠みました。税理士試験時代もこういう期間が多々あったので、これが私の習慣化のペースかもしれません。
改めて考えました。続けること、でも毎日できないことについて思いつくまま書き並べると
・何でもそうですがべつに毎日ではなくてもいいのでは→毎日じゃないけどとりあえず短歌は続いていけている
・“毎日”だけに価値を置かなくてもいい→中断しても復活できていて、毎日と多分同じような労力な気がする
・続けているからと言って四六時中同じことをしているわけではない→やるかやらないかだけで、やれば1分で終わることばかり
もういろんな本に書いて手垢にまみれすぎている論点ですが、改めて私の行動に落とし込んでみてやはり同じ結論に達しました。
良い習慣も分解したら意外とひとつひとつは大した労力もなくできてやるかやらないかだけのものも多いです。
私の場合は1日の大半を占めているのはボーっとしている時間やスマホを見ている時間でした。そのときは「やればいつでもできるし」と大差ないと考えていますが、あとで「私何してたんやろ」と、1週間分の短歌を詠むときに空白の時間が多すぎていろいろ残念に思いました。
毎日やってない短歌を通じて気づいたのもアレですが、継続にこだわらなくていいので、そこにほんのの数秒でも(深呼吸とか。やれてません)細切れの習慣を突っ込んでいけば、長い目で見れば変わってくのかなと思います。きっと続けるペースも時と場合によってさまざまなので、諦めずに思い出した時点でやるようにします。
毎日は日々のこういう積み重ねで過ごしているということを、たまにきちんと過ごしている方にお会いして自分とのギャップに衝撃を受けます。生まれつきの可能性に加えて慢心、環境の違いも大きいと思いますが、きっとほんの少しのこういう心がけも大事なのかと感じました。春眠暁を覚えずの日々をそろそろ脱して頑張ろうと思います。
【昨日の一日一新】
・貼るマスク 美容院で初めてつかいました。
医療用の両面テープでくっつけます。快適でした。
綾野 真紀
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