『哲学のおやつ ヘンとふつう』を読みました
こないだ豊田の図書館でみつけて面白かったので、改めて名古屋の図書館で借り直しました。
買おうとしたら絶版のようで、Amazonではプレミア価格になっていて断念しました…。
10代からの考えるレッスンとある通り、対象は子供むけだと思いますが、
“ヘンとふつう“以外にも“いいとわるい“”うそとホント“”ゆっくりとはやく“”生きると死ぬ“と大人でも気になるテーマばかりです。図書館にあるもの全部借りました。
どれも良かったですが、中でもやはり「ヘンとふつう」が今の私に刺さりました。
誰だってそうだと思いますが、ヘンだと思って思われてふつうとの壁に悩みながら日々過ごしてらっしゃると思います。
とくに私は何かと少数派に属しているので、それはそれでいいこともあるのですが、「ふつうは○○なんじゃない?」と言われたり、自分でも何かと気にしながら生きております。
フランス人も「ふつう」に悩むのか!(失礼)
この本は、フランスの哲学者と作家の方が書かれた本でした。まず思ったのは、失礼ですが
「(個性を重んじてそうな)フランス人でも“ふつう”に悩むのか!」
ジャンヌ・ダルクやセルジュ・ゲンスブールを輩出した国なのに。(それは関係ない)
私の偏見ですが(^^;)みんな一緒なんだとホッとしたのは事実です。
ヨーロッパの複雑な歴史もあるし人種も混じっているので日本とまた違う悩みもあるようです。でも“ふつう”の身近な例は我々と全く同じで、友達と違う、とか将来の職業、服装、など、一緒なのだと思いました。
「ふつう」の意味
じゃあ“ふつう”って何?と思ったら、ふつうは色んな意味のある言葉として説明されていました。以下引用します。というか、引用してない箇所もほとんど引用です(^^;)
わたしたちは「ふつう」という言葉を、ずいぶんちがういろいろなことをさすのに使っている。普段と同じ、納得がいく、自然な、正しい、などの意味で使っている。「ふつう」はほんとうにいろんな意味を持つ、ざっくりした言葉だ。(P9)
そうか、ざっくりしてるのか。また時代や場所など時と場合によって変わるとも書かれていました。そう言えばそうですね。
この言葉を使うときは、なにを言いたいのかじぶんでも正確にはわかってないことが多いんだ。(P10)
そうなのか。
今まで「ヘン」に立ち向かった例として、女性がドレスを脱いでズボンをはいて(横ずわりでなく)馬にまたがって乗った、とか大統領は黒人か白人か、などもっとスケールの大きな出来事でした。いや、スカートの丈とか靴下の色とかもささいなことですが、根っこは同じです。
(ふつうにとらわれてロボットみたいに調整された友達に対し)「ふつう」という考えにとらわれすぎて、じぶんの人生を生きるのを忘れているんだ。(P23)
「ふつうと思われていること」のわな、つまり、「ふつう」がわたしたちをその中にとじこめてしまうかもしれないようなわなは、どこにあるのかさがすことは大切なことだ。(中略)じぶんの人生という彫刻を少しずつ上手につくりあげるために。(P30)
さいごは
人間たちを導いていく考え(P35)
としてしめくくられています。
わたしたちがこうあってほしいと願う世界をえがくとこういうふうになる。ふつうなのはここにあるものではないということだ。でもここにあるべきことなんだ。(P34)
じぶんの住みたい世界を作るための概念で、気軽に「ふつう○○なんでは?」と使っている奥底にはそういう思想があったのかと思いました。
周りからの「ふつう」の押しつけや自分自身も「ふつう」に苦しむことが多いのですが、実際つきつめて考えることがなかったので、スッキリ理解できました。
この本の最後には、実際にお友達同士テーマを作って1時間ぐらい、おやつを食べながら話し合う会をもつといいと書かれています。
これがほんとうの“哲学のおやつ”みんなで哲学する番だよ!と書かれていて、なるほどこうやってお互いの違いを認めて理解し合うのかと感じました。
私だとお酒を飲みながらになるかもしれませんが、哲学してると言い訳しつつ、こういう機会を持とうと思います。いまちょっと考えています。
【昨日の一日一新】
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綾野 真紀
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