彦根に行きました その8 彦根城 後編 楽々園など


彦根に行きました その8 彦根城 後編 楽々園など

 

久々に彦根城に戻ります。

あと少し庭園の写真など書きたいのですが、WordPressのプラグインを久々にさわったら途中で保存ボタンを押すとその後画像挿入ができなくなってしまってとても焦っております。いったん全部画像を貼ってからあとで文章を足す、という作戦でやってみます。途中でブログが飛びませんように。

(前に使ってたパソコンからだと問題なく使えたので、その後しばらく古いパソコンから書いてます)

彦根城の一帯はとても広くて、お濠の周りに庭園があったので行ってみました。そしてBIWAKO BIENNALE2020というアートのイベントも開催していて、紅葉とアート作品を鑑賞しつつ移動しました。

 

 

順に紅葉している途中で、赤も木も緑も色々混在しているのがとてもきれいでした。

お城のすぐそばの展望台のようなところ。見晴らしがよかったです。

もう下り坂ばかりなので、移動も楽でした。そんなに混んでません。

 

移動中みかけた白鳥がかわいかったです。人なれしていて、エサやり禁止の看板までありました。

庭園の入口にて。杖の返却ボックスを発見。のぼりは結構ハードだったので、知ってたら借りたかったですが、使っている人は見かけませんでしたので、入口でもっとアピールされた方がいいかと思いました。

井伊直弼生誕の地です。

玄宮園・楽々園の入口です。彦根城との共通券を買ったのでそのまま入れました。

私はお恥ずかしながら今回玄宮園と楽々園を始めて知りました。最初聞いたとき、焼肉屋さんのような名前だったのでどういうとこなんだろうと不思議でしたが、とても素晴らしい庭園でした。玄宮園は次回書きます。

いま、楽々園は長期間の工事中のようでほとんど見られなかったのですが

 

 

一部公開されている建物だけ寄りました。ここでもビエンナーレの作品が楽しめました。

パンフレットより。

下の地図の左側ほとんどが修復中です。長くかかりそうですが、きっととても素晴らしいと思うので終わったらまた見に行きたいです。

茶座敷(地震の間)は遠くから見られました。

 

 

江戸後期に作られたようで、途中で地震が起きた後に床下や屋根裏に耐震機能を施したそうで、それで地震の間と呼ばれているそうです。

住みたい…と思いました。

大事な建物を書き忘れていました。こちらが通称槻御殿と呼ばれる建物です。

このまま隣の玄宮園に行きました。楽々園も玄宮園も、どちらも4代藩主井伊直興により作られて、庭園部分が玄宮園、二の丸御殿が楽々園と呼ばれているとのことです。

また書きます。

【昨日の一日一新】

・伊吹PA 志乃崎

・獺祭の山田錦を食べる

酒米は(好みはあると思いますが)個人的にはすごく美味しいと思ってるので、ほかにも食べられる酒米がないか探していたら、三重でもマルヤス&コスモスにて伊賀産の山田錦の無洗米が販売されていることを知りました。しかも私のふるさと多気町の相可高校食物調理科のレシピ付きです!

マルヤスは名古屋にはないので実家でお願いしました。系列のスーパーなら名古屋にもあるのでそこでも販売してもらえたら嬉しいです。もっと身近で買えるといいなと思ってますので、売ってる酒米を見つけたらまた書きます。

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綾野 真紀

名古屋在住の女性税理士&唎酒師です。今のところお仕事以外のことをメインに書いています。きしめん住よしのデララバさんです。住よしご一緒してくださる方♪2024/3/30のブログをご確認の上お問い合わせくださいませ(期間限定)。